右京請願に対する見解(続々編)

請願3号には、「右京地区は昭和46年に関西文化学術研究都市の最初のまちとして開かれました。」と書かれています。

国土庁が「学術研究都市基本構想」(パイロットプラン)を発表したのは1982(昭和57)年、11年後のことです。「関西文化学術都市建設促進法」が公布・施行されたのが1987(昭和62)年、その後同法に基づく「関西文化学術研究都市建設基本方針」が決定されています。右京地区も神功地区も、「平城・相楽地区」として、あとから「関西部下学術研究都市」と指定され、さらに開発・発展してきたということです。

自治会としては、右京地区も神功地区も元々は同じ「ならやま自治会」として始まり、平城西中学校や右京小学校をともに築き、支えてきた仲間です。人口が増えたことから自治会が、その後小学校が分割しただけで、平城西中学校区として、ずっと一緒に子どもたちを守り育ててきたのです。今、人口が急速に減少するなかで、これからの地域・学校をどう発展・継続させていくのか、「右京・神功地区(平城西中学校区)」のこととして、一緒に考えてはいただけないものでしょうか。

ところで、関西文化学術研究都市の建設基本方針には、関西学研都市の意義について以下のように書かれています。ともに関西学研究都市として、ここに書かれている趣旨を生かし、将来の可能性に対応した新しい学校創りを目指すべきであると考えます。「古きよきもの」を守ることも大事ですが、「伝統」は時代にあった「イノベーション」を起こし続けるからこそ、続いていくものだといいます。
関西学研都市らしい、わくわくするような新しい学校、一緒に創りませんか?

関西学研都市の意義
「今日、世界経済の一翼を担うまでに発展した我が国が、今後、国際社会の一員として、人類の平和と繁栄に一層貢献するためには、基礎科学の充実強化、創造的な学術・研究の振興を図り、あわせて、日本固有の文化の継承とともに、世界の異なる文化との交流・融合を図ることにより、21世紀に向けての新しい文化を創造する必要があります。
このような創造的な学術・研究の振興等を図るための基盤として、既存の文化・学術・研究の集積の活用と連携のもとに、良好な自然・生活環境を備え将来の可能性に対応しうる新しい都市の建設が要請されています。
関西文化学術研究都市の建設は、このような要請にこたえるため、近畿圏において培われてきた豊かな文化・学術・研究の蓄積をいかし、歴史、文化、自然環境に恵まれた京阪奈丘陵において、21世紀に向けた創造的かつ、国際的、学際的、業際的な文化・学術・研究の新たな展開の拠点づくりを目指すものであり、新しい近畿の創生に貢献することはもとより、我が国及び世界の文化・学術・研究の発展並びに国民経済の発展に寄与するものであります。」

1件のコメント

  1. 子どもたちのことを考えていただいた活動に、一保護者として感謝しております。
    難しいことはわかりませんが、親として、ただただ「子どもに笑顔で過ごしてほしい」「元気に学校から帰ってきてほしい」それだけを願い、明るい未来を向くよう毎日を過ごすことで精一杯です。
    そんな中での、右京の耐震問題も、神功の校舎の老朽化も親としての心配はどちらも痛いほど分かります。だからこそ、お互いの地域の大人が手を取り合い、子どもたちの環境を魅力あるものにしたいと考える方々がこの校区にいらっしゃることは、とても心強いと思います。
    どうか、どうか「右京の、神功の」ではなく、「平城西中校区の」多くの子どもたちが共に明るい未来に進めます様に。

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